11月20日ゲスト講師 (株)新栄スクリーン 鈴木健氏
現在45歳、会社は創業46年(1972年)、うち大崎で40年
●理学部物理学科、1996年からアメリカ、ハイチ、韓国に
2001年、9.11の2日前にはマンハッタンにいた
●2002年帰国、入社
・小6で生い立ちの記を書いた際、生まれた時の話を母親に聞き、
父親が後継ぎができたことを喜んだ、というエピソードを聞いた事を思い出して、
帰国の決意をする
・母親には第一声、やめときなさいと言われたが…
【今改めて思う事】
●人は生かされているし、法人もまた生かされている
・両親、周りの人たちへの感謝
・社長の器が会社の器であり、個人の成長が会社の成長
・義理と人情と心意気、そしてそろばん
●我も良く全体も良い会社にし、成長させたい
【会社の沿革】
●現在はディスプレイ事業の売上が大きく、イベント、スクリーン印刷。
・大手1社への依存が20期近くまで続いていた
大手の有力者と懇意だったため、しかし、亡くなることで仕事がなくなった
・復活への取り組みの中、1998年自社製品「溶ける灯篭」発売
・入社後、ディスプレイ事業を始め、業績回復。
スイカの初代自動改札機に採用される(のちにパスモにも)
ディスプレイをはじめるきっかけを作ったのは社長、それを技術面でサポートできた
・入社時4名だった社員も10名ほどに。弟さんも入社した。
【各事業について】
●スクリーン印刷事業
・フロー印刷→外形加工→検査→納品
・初期はレベルメーターなど、自動車関係が中心。
均一表示のため何色も入れるなどの創意工夫が求められる
・拡散印刷…LEDの粒を見せない、表示部分を均一の明るさにする技術
・可変表示シート…特許取得済みの技術を使い、スイカの仕事につながる
「屋外可変表示器」を開発した
・ディスプレイ事業
きれいな面発光を作るための導光板技術、拡散技術、モジュール開発設計技術が強み
自動改札機への採用は、飛び込みで営業した際に偶然案件について聞いたことから
●イベント事業
・オリジナルたんざく
桜新町の祭りで無料提供からスタート、岩手県での祭りなどで採用
・水に溶ける灯篭 とうろう流しも環境配慮必要に
一緒に流しながらもらった意見を聞いて改良する、ハワイからも受注
●ISO取得→大手企業が頻繁に社内監査に来るのを避けるため
●自社商品や新しい取り組みも
熱断線警報器、絵柄が光る(ピンバッチ2020年キャラクター印刷)、
マイナスイオン印刷など
●後藤新平の言葉
「金を残して死ぬのは下だ。事業を残して死ぬのは中だ。人を残して死ぬのが上だ。」
(お父様はまだ生きているが)自分を育ててくれた父に感謝している
株式会社新栄スクリーン
11月30日ゲスト講師 株式会社高山医療機械製作所 髙山隆志氏
髙山社長で4代目。事業形態は変わっている。
【海外で勝負すること】
●脳のバイパス手術道具のセット化し、北米にて販売。
●販売開始から2年半で35か国に販売代理店(1国1社)
・大物教授との距離を詰め、営業活動
・先生達の口コミ(Facebookの脳外科のネットワーク)
・学会のワークショップに貸し出す
・学会のプレゼンで動画で、道具を紹介してくれる教授もいる
⇒どうせなら知らない人より知ってる人からいいものを買いたいと思うもの
●アメリカは先端技術については移民にオープン
●海外に出て行って日本の社会を見て、ネガティブな印象を持っている。「制度疲弊」
・海外には医者の1億円プレーヤーがいるが、日本ではおなじレベルで1000万円くらい
・海外はバックボーンよりも目の前のことを見てくれる、
日本はしがらみが多くてやりにくい⇒海外へ脳外科医が流出していく
・外に出ていくと、日本にないものが分かる
・「消費税は輸出企業向けの補助金」
輸出企業は消費税免除され、還付すらされる
【伝統技術を最先端の道具に応用した商品開発】
●下請を抜けたい…どうしたら商社抜きで商売ができるか、
決裁権を持てるかを考えてきた。→みんなが欲しがる商品を持つこと。
●伝統を研ぎに応用することで、オリジナリティあふれる上山式が生まれた
限りなく薄い刀を生む凹み研磨を応用した「さっと入れて深く入る」刀
●手術では手元から110cm先の組織を切る。深くなると血管は固くなり、切りにくくなる。
あと少し切りたいときに 「切りたいところが切れる」ハサミが必要
●くも膜の中の細かい血管を脳外科医はブラインドで切る
「先端1mm」の切れ味が重要
●ハサミ=ただ切るだけでなく多機能が大事
ピンセット=つかむ+すべらない(タングステン)
血管吻合をより短時間で行えることが売り。
手術時間が短いと手術費用も安くなり、医療保険も安くなる
●決してハイテクではないが多機能、使ってわかる違いを持たせる
●3時間~5時間の手術に立ち会い、製品に必要な機能に気づく
●先生達への利益は何か、自分たちの利益は何かを考えてきた
手術時間を短くする…医者の利益
多機能なものを高く売る…自社の利益。
●大手の持っている商材で勝負しても勝てない
→「超精密な手術道具」新しいカテゴリーを創出した
●日本のブランドは高級ブランドの下を行く、安く売ることばかり
それを変えたかった
●チタン…寸法精度を出すために、低速で作らなければいけなかった
→1億円の機械4基で24時間製造。利益で工員を育成する。
【今後の展望】
●日本の強みは何か?勤勉性を生かしたものづくり。
・「他人のさやを抜いて儲かる」ようなビジネスではダメ。
・きちんとした商品を作って売る、そうでないと、海外で売れない。
●(若い)日本人は動かなくなってきているのが危険に感じる
●若年人口減ると労働コストが上がる。
新しい製品、サービスで収益を上げないと生き残れない
●今後 OEMを減らし、自社製品へシフトしたい。
日本生まれの臨床器具を海外へ、世界特許を取って展開
●誰よりも早く決断して、誰よりも早くやる。その方が駄目の時リカバリーできる。
・2の手、3の手、4の手まで考える。
・まずはお客さんの利益を考え、それから自分の利益、自分の会社の利益。
動きながら意思決定をする。
●上場して透明な会社を作りたい。優秀な人が経営するのが望ましい。
●研きも機械化していく。、理工系の大卒を取ってNC工作機で技を作りたい
●機械化によって単価を下げない。そのためには独自の技術はオープンにしない
そして専門商社ではなく、自社で売る
TAKAYAMA Instrument, Inc.(英語HP)
https://www.takayamamicro.com/home
Forbes JapanHP『名医たちの手術を変えた下町発「命の職人」世界へ』https://forbesjapan.com/articles/detail/25072
12月4日ゲスト講師 株式会社田代合金所 田邊豊博さん
田邊社長は3代目。
●「栄枯盛衰 世の習い」
●恐竜と哺乳類=大企業と中小企業
・安定環境下 大企業にメリット (そんな時代は実は多くない)
・環境激変期 中小企業にメリット
大企業 個人の利益と組織の利益一致できない
中小企業 意思決定に「覚悟」(正しい、正しくないの問題ではなく)
【事業転換の歴史】
①当初の事業…新聞社等向けの活版印刷用地金
半日~1日で交換、「鋳造性の良さ」が大切
②2代目の時、活版印刷からオフセット印刷へ移行、仕事消失
鋳造性の良さをどう生かす?高度成長期のキャストメタル需要取り込む
⇒製造拠点の東アジアシフト 15年位前始まり、3年後には日本に追いついた
③「金属を板にする技術」を用いて、世界初のすずを使った内装材
同じ金型、材料でも、鋳造条件を変えて表情を変える
●10年前のビジネスモデルで生き残ったものは2割
「ゴールは次へのスタート」
栄枯盛衰を当然のことと受け止める、良い時こそ、次のことを。
変わらないことは「変わり続ける」こと、
そうでないと素晴らしいとは言われない
●インキュベーションを生み育てる イノベーション
・日常はイノベーションのヒントにあふれている
そのヒントに気付くには感性というセンサーの感度を上げる(+行動)
TGメタル、コンウォール
・手の届かないところまで走る
・小さなイノベーションの積み重ねは大きなイノベーションに匹敵
しかし、イノベーションにも賞味期限がある
【コンウォールの世界展開】
●商社を通さずに自社販売を目指す(中抜きされたくない)
・初のロンドン出展では70年ぶりの大雪、100%デザインロンドンへ再チャレンジ、
ブループリント賞受賞
・UAEでの出展→現地のショールームへ。
●新しいイノベーションの形…オープンイノベーション
・イノベーションは手法にこだわらずにマーケットが欲するものを様々なアプローチで
生み出すこと、ともいえる
・他業種とのコラボレーション…そのためにはコミュニケーション能力が必要
たちばな=錫+鍛金
・WINWINとはカウンターパートナーとしての関係を構築すること
【これまでの学びとこれから】
●大切なことはまず行動すること。成功も失敗も含めて必ず課題が見える
この課題は神様からの贈り物、解決する行動を再び起こし、これを繰り返す
●建築業許可法人取得で業容の拡大
●個人向けショールーム竣工
●起業家養成講座(早稲田卒ベンチャー起業家の講演)で学んだことを生かす
「まずは熱意、次に手法」
●自身のコミュニケーション能力を生かして、次の世代を生かすことを考えている
引き出しに置いていたことが生きる瞬間がある
●学生へのメッセージ「早稲田までの人から 早稲田からの人へ」
自分で考え(ゼロからでなくてよいから)
自分で行動し
自分で責任を取る
株式会社田代合金所
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